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第20回 「労働集約型産業の歴史」で述べたように、明治以来の高度成長期、日本の産業は “タイミングよく”労働集約型の日本のエートスが時代にフィットして経済的成功を遂げた。労働集約型の場ではとにかく均質で勤勉で低賃金な労働の存在こそが価値があった。日本は「0から1」“What”は欧米からちゃっかりと拝借し、トヨタのカンバン方式(just-in-time生産)などを見てもわかるように、「いかによい品質のものを安価に効率よく作るか?」「1から100へ」“How”の部分を先鋭化・お家芸化し、それが高度成長期の成長エンジンのコアになった。
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ところが、この時代、第8回「OEM/ODMの流れ」で述べたように、製造プロセスの多くが中国など海外へ流出している。製造業はスマイルカーブの前後、特に「何を作るか?」“What”の前部分が重きを増してきているのが現実である。今の製造業はHowからWhatへ、モノからコトへと世の中の価値の重心は移動してきているのだ。ちなみにかのドラッカーも「企業の目的が顧客の創造であることから,企業には2つの基本的な機能が存在することになる.すなわち,マーケティングとイノベーションである.」(『現代の経営』)と言っている。企業がコアの機能として持つべき役割に製造業が戻っただけ、ということなのかもしれない。
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従来の日本の製造業では、「0から1」“What”である基本発明は欧米に依存していたため、創造力を駆使すべきコンセプターはあまり評価されてこなかった。評価されていたのは構成員の均質性を前提とした母性原理に基づく「調整者」としてのリーダーである(あくまで調整者なので指導者タイプよりは、平凡で失敗しないタイプが選ばれる傾向にあった)。
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しかし、ここへきて、「何を作るか?」「0から1」“What”をマーケティングとイノベーションで考えていくコンセプターが必要とされる時代になってきた。しかし、歴史的に企業中でコンセプターを育んでいく仕組みが無く、供給が足りない状態なのだ。ここは今の日本のもっとも重大な問題点であり、後章で再度ふれたい。
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ではリーダーはどうなのか?実は製造業における“目的追求行為”は、より良品質で、より低コストで、という“How”の部分に多く関係していたため、かなりの割合で製造現場の流出とともに中国やインドへ行ってしまったのだ。日本人のリーダーは需要が減り、配給過剰の傾向にあるのである。
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リーダーよりもコンセプターのほうの需要が多く、供給が少ない。今やそんな時代になってきているのだ。しかし、どうも実態はそれに応じたフォーメーションになっていない。この流れを阻害している要因があるようだ。
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