l
第17回 「場による集団形成」や第18回 「タテ組織による序列形成」では日本人の集団が作る「場」、「枠」について書いた。稲作に置き換えて見るとこの枠とは田の“あぜ道”に他ならない。農業は土地に強く依存している。収穫高が土地面積にほぼ比例するので、土地の境界=「枠」はとても重要なのだ。また、日本の稲作が狭い農地の中で多大な労力を投球することで生産性を上げていった(勤勉革命)。
l
つまり、「枠」を定め、その「枠」内部に人力を惜しみなく投入する、という労働スタイルである。「枠」の外側は他人の土地なので、自分の生産性に全く関係もない。逆に「枠」の外へ手を出すということはご法度だったのである。
l
エドワード・デ・ボノが垂直思考と水平思考という考え方を提示したのは1967年である。「デ・ボノは従来の論理的思考や分析的思考を垂直思考(Vertical
thinking)として、論理を深めるには有効である一方で、斬新な発想は生まれにくいとしている。これに対して水平思考は多様な視点から物事を見ることで直感的な発想を生み出す方法である」(Wikipediaより)。「枠」内部を掘り下げて問題解決を図る思考法が垂直思考、既成の「枠」にとらわれず、視点を変えながら問題解決を図る思考法が水平思考である。
l
現代の技術開発においても日本人は周りとの境界線を規定した自分の役割設定、つまり「枠」をもち、その内部を垂直に掘っていく「垂直思考型」を遵守しているように思われる。日本の産業はえてして過剰適応する「ガラパゴス化」の傾向があると言われているが、これはこの「垂直思考型」で枠の中を深く掘った結果に他ならない。これに対して欧米型は自分の役割を「枠」外に広げていく傾向を持っているようで「水平思考型」なのだ。
l
この垂直思考・水平思考であるが、垂直思考=母性原理、水平思考=父性原理と強い関連性があるように思えてならない。ある「場」「枠」に帰属し、弱い自我でその内部に情緒的に絡め取られれば、水平にそこから離れようとはあまり思わないものである。『日本の技術が危ない』ウィリアム・F. ファイナン、ジェフリー
フライ (著)には様々な日本のハイテク産業の危うい傾向が記載されているのだが、そのほとんどを「水平思考=父性原理」の欠落で説明できるような気がする。日本の垂直思考はまず、自分の役割設定=「枠」が大事で、これがないと始まらない。また、ある規定を超えられない縛りをもつことになり、画期的、突拍子のない発明と言うのは起きにくいことを示している。
0 件のコメント:
コメントを投稿