2013年3月10日日曜日

第22回 日本人とコメの深い関係


l         さて、前々回まで日本人のエートスを形成してきた大きな要素として農耕、特に日本の風土における稲作をあげてきた。「日本人がみな農業従事者というわけではないのでは?」という質問があったので補足してみたい。
l         たとえば、網野善彦『続・日本の歴史を読み直す』には百姓≠農民であり、百姓であっても廻船業や金融業を生業にしているような非農業民がことのほか多かったことが記されている。ではなぜこのように「農耕的国民性」が定着したのか?
l         これは日本の律令制度の基盤が租庸調の「租」つまり土地からの年貢米であったということが大きいようだ。これは日本を支配したヤマト王朝が長江文明の末裔(弥生人)でイネを神聖視したことも大きいのではないかと思われる。結果、コメは貨幣の役割を日本において果たした。貴金属の貨幣の流通がすでに一般的であった江戸時代においてもコメは武士の収入の基本単位であったくらいなのだ。
l         日本人がなぜこれほどまでコメに執着したか?もちろん高い栄養価などは理由になるだろう。仏教の殺生を避ける思想からか肉食をほとんどしない日本人にとって栄養価の高い穀物は大事な栄養源だったと思われる。しかし、それだけでは説明できないほど強い米へのこだわりがあるようで、これは日本史の七不思議の一つにあげられるらしい。
l         面白い話がある。その昔、明治政府は北海道の開拓にあたり、開拓先進国アメリカに規範をもとめ、ホーレス・ケプロンなどの米国人を雇った。彼らは北海道の気候を考慮し、『北海道は寒く、イネが育たないため、麦をつくることを奨励。北海道ではパン食を推進すべきだと主張した。』(Wikipediaより)。ところが、本州から入植した開拓民は『コメが食べたい』という一念で北海道での稲作を成功させてしまったのである(参考:http://suido-ishizue.jp/kindai/hokkaido/05.html)。

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