第23回 日本の工業黎明期
- もちろん江戸時代にも優れた土木工学等があったが、日本における近代工業の本格的始動は明治からとなる。明治維新では「富国強兵」「殖産興業」「脱亜入欧」という思想により、西洋文化が(頭ごなしに)政府主導で導入された。
- 『日本近代技術の形成』(中岡哲郎)にそのころの日本の工業化の対応の様子が書かれている。印象的なのはその速さだ。政治も安定していないであろう明治元年には電信線建設の開始、翌年には鉄道建設が動き出し、明治三年には東京―横浜間が着工された。明治四年にはガス灯が設置される。そして、これは面白いことだが、これらの西洋技術を当時の日本人は「熱狂して」受け入れたようなのである。夜に青白く輝くガス灯によって作られる夜景が当時の日本人たちには一片の嫌悪感もなく、美しく感じられたようなのだ。この感情の根底には第19回で書いたように日本人の考え方の一つに「機械は自然なもの」という一種の合理主義があり、これが西洋の工業文化をスムースに受け入れたようなのである。
- しかし、一方この「西洋に追いつけ」というスローガンはナショナリズムの恰好の対象になり、「日本軍事技術の優秀性」という錯覚を生んで戦争へと進ませた一面もある。
- 『ものつくり敗戦』(木村英紀著)は著者の専門のシステム工学の観点から見た日本の工業史論になっていて、大変興味深い。木村によれば、
- 明治に日本は本来独立しているべき科学(Science)と技術(Technology)をごっちゃにして輸入した
- おりしも、鉄道をはじめ産業革命の果実が実る時期であった。富国強兵を進める日本は理論よりも”技術”の方を優先した結果、日本に理論を軽視する風潮が定着した
- 良質で豊かな労働力にあふれた日本において、人を中心とした労働集約型の工業として技術を自分のものにしていった
- 1930-40年台、複雑さ・不確かさに対処する学問(自然科学ではない人工物を対象とした科学)が起こり、「機械からシステムへ」の革命が欧米に起きたが、戦時中ということもある日本に輸入されることはなかった
- 戦後復興では軍需産業が民生化する(例としては戦闘機のエンジン技術→自動車産業)中で、技術が非連続になることはなく、明治からの伝統がそのまま受け継がれた
- 世の中の軸足が明確にソフトウエア、システム、ネットワークに移行し始めた1990年代、人工物を対象とした科学が必要となるソフトウエア産業などは日本に根付くことはなかった。
- このように(仕方なかったとはいえ)明治期の拙速な富国強兵制度が、日本の工業において実用の技術分を優先し、理論の科学と表裏一体である前提を欠いたまま現代までつながっていることは間違いないようだ(例えば「民主主義」も似たようなかもしれないが)。
- 日本人は決して精神世界が貧困なわけではない。詩歌、小説、茶の湯、絵画、どの分野を取ってみても世界の一流に伍するものをもっている。理論科学の分野でも湯川秀樹博士以下、ノーベル賞受賞者を輩出している。ところが、なぜかどこかに欠落があり、バランスを欠いている印象をぬぐいきれないのである。それは何なのか?
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