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このあたりで少々具体的な話をして行こう。筆者の電機メーカーに在籍していた経験では、製造業における80年代後半の古典的な設計チームはこんな雰囲気であった。
- 数人で1機種を担当
- 各エンジニアの「目の届く」範囲で情報を共有
- 部品メーカー、系列事業所は「パートナー」
- 情報は「いつものやつ」で通じる非言語コミュニケーションの世界
- 設計者が商品全体を把握するのに“手に負える”規模だったことが特長だった。
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このチームの中でどのように業務進行していたか?シミュレーションしてみたい。
エレキ屋
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「ドライブ電流なんだけどさあ、設計値まで出せそうもないんだ。。5%くらい足りないんだよ。。」
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メカ屋
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「じゃあ、それだとセトリングタイムのスペックが入らないね」
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エレキ屋
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「ドライバーICを別のに変えればいいんだけど、間に合わないしなあ。。」
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メカ屋
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「うーん。。アームをもうちょっと肉抜きできるかもしれないから、やってみようか。そうすれば多分スペックに入ると思うよ」
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エレキ屋
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「何時ごろに実験できそうだい?」
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メカ屋
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「そうだな、今晩中にがんばって図面書いて試作出しとくから、3日後にできるよ」
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エレキ屋
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「悪いなあ。。頼むよ」
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メカ屋
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「まかしとけって!」
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典型的な「すり合わせ(インテグラル)型」設計であることがわかる。この会話見られる特長はなにか?3つあげてみよう。まず1つ目、このチーム内は基本的に全員身分・立場が平等であるということ、2つ目、メカ・電気と専門が異なっても知識をある程度共有していること、3つ目、情緒的な結束力を強化するコミュニケーションをとっていること、である。運命共同体として「場」を共有する母性原理文化そのものであることがわかる。この母性原理がすり合わせ(インテグラル)型設計を助長していたのである。
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この古典的なチームによる仕事の進め方、良い面として短いイテレーション(反復)サイクルをあげることができ、短い期間で良品質の設計が可能だった。(情緒的な運命共同体を除けば)アジャイル型設計の要素も含んでいるともいえる。
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現代的な水平分業型の製造業の現場はどうなっているか?ネットワーク化などで設計するシステムが複雑になり、プロジェクトは多くの人数を抱えるチームにならざるを得ない。社外との連携も行われるが、そこにあるのは情緒的家族的共同体ではなく、契約によって規定されたドライな関係だ。組み合わせ(モジュラー)型は複雑なシステムを管理可能にするのだが、一人一人の設計者からは全体が見えにくくなってきているのである。全体が見えないというのは“分割したものには物の本質は宿らない、内在化が難しい”、という母性原理の性質からすると致命的だ。水平分業型における設計行為は古典的アプローチの延長では日本人のエートスが邪魔をして難しいということなのである。
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