今はそうではないかもしれないが、筆者は1960年代前半に生まれてからの幼少期を家の躾でも、学校の教育でも、「一所懸命」「頑張る」ことを奨励されてきた。たいていの同世代の家でもそうだろう。小学校には「一所懸命」「頑張る」象徴として二宮金次郎像があったようだし、エジソンや野口英世といった伝記はおしなべて「努力は報われる」型逸話にあふれていた(その中で、縁側でごろ寝中に中性子を発見したという湯川秀樹の話は異彩を放っていた)。なんといっても、われわれが無邪気に熱中していた「巨人の星」も「アタックNO.1」も苦しくったって、悲しくったって一所懸命に頑張る系の話なんだよね。
もう一つ、われわれ日本人を深く洗脳してきた忘れてならないものに、集団行動がある。「みんなで」なにかをやり遂げるのはスバラシイ、一人がサボっていると全体の損失だよ、そんな団結力を尊ぶ気風が特に小中学校を包み込んでいた。運動会の花形は一人の失敗が全てを台無しにしかねない組体操とマスゲームだった。ほかにも一人が目的を達成しないと、全員が居残りで教室の掃除をやらされる、みたいなめっぽう非合理的なことが枚挙にいとまなくあったのである。
果たして、「みんなで」「一所懸命」「頑張る」日本人が大量に量産されたわけだ。
そんな「みんなで」「一所懸命」「頑張る」日本のエンジニアが90年代をピークとする“成功体験”を作ったような気がする。この点は話が進む過程で深く追求してみたいと思う。
教育論としての方での一所懸命、頑張りを美徳とする文化について、私も良し悪しを考えています。例えば掃除機はゆっくり一度動かした方が綺麗になるのに、ホウキのようになんどもこまめに動かさないと手抜きみたいな見方をするなど。。。エンジニアについては展開を期待します。
返信削除サブマリンさん、コメントありがとうございます。教育は国を形作ることに影響力がありますよね。これからもコメント期待してます^^)
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