2013年1月3日木曜日
日本のエンジニアが辿った数奇な運命
筆者は某電機メーカーに勤めている一介のエンジニアである。1985年に入社して以来(信じられないことなんだが)28年になろうとしている。
バブル絶頂期の85年。ランチでは先輩たちが話題にしていたのは『果てしなく高騰している住宅の値段』にどう対処するか?だった。銀行はほいほいお金を貸してくれたし、会社の業績は右肩上がり、社内で深刻な話があるとすれば日米半導体摩擦で「米国製トランジスタ実装率を増やさなきゃいけない」、くらいなもんであり、まあ、贔屓目に見ても天下泰平、順風満帆、住宅ローン背負っても全く問題なし。一点の曇りもない将来がわれわれエンジニアの前方には開けていたんである。
それがたった28年でどうなっちまったかというと、みなさんご存知の通りである。多くの電機メーカーが巨額の赤字決算で業績不振にあえいでいる。それも一社や二社ではない。一人の経営者がポカをやった顛末ではなく、構造的な敗因があるのだ。しかも、電機メーカーは製造業の中で最初に影響を受けた業種であり、これからすべての製造業が業績不振に陥る、などとまるでカッサンドラ(ギリシャ神話にでてくる不吉な予言だけがなぜか当たるトロイアの王女)みたいな人も出てくる始末だ。住宅の値段は横ばいだが、雇用不安はバブル期の土地価格のように増大し、わが国のエンジニアたちの心中は「住宅ローンは払い終えられるのか?」「息子を私立学校に入れて大丈夫か?」といったバブル期には気配すらなかった不安が跳梁し、穏やかではない。
この、まるでジェットコースターのような天国と地獄。無理やりポジティブ・シンキングをすれば、「こんな両極端を、勤め上げる会社人生で見られるなんて、なんて貴重な体験なんだろう!」ととらえることもできるかもしれない。その数奇な体験で感じた、「日本の製造業ってどうしてだめになったの?」や、「これから日本のエンジニアはどうすれば生き残れるの?」とかに関して、純個人的に感じたことをつらつらと、書いてみようと思う。
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