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何がいつ変わったのか?そのトリガーになったのは、衆目の一致するように、1989年11月10日のベルリンの壁崩壊に象徴される「冷戦の終結」なのだと思う。東西緊張のエネルギーが“市場原理主義”という世界共通ルールの中で解き放たれたのだからたまらない。
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運命の女神はいたずら好きである。時を同じくしてWindows95のリリースで勢いのついたインターネットが世界の津々浦々をつないでいた。アメリカから発注された仕様書はインターネットを通じてインドでソフトウエアがコーディングされ、中国で大量生産されるハードウエアに搭載されるようなことが、不思議でも何でもなくなったわけである。
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この二つの大きなパラダイム・シフト、潮目は1990年だったと言える。
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ここで起きたことはトーマス・フリードマンの著書にもあるが、「フラット化」がぴったりくる。まさに水が低きに流れるごとく、世界の資本や知識が液体のように動き出したのである。イデオロギー対立の消滅は、水塊をせき止めていた堰を切ることであり、インターネットはその水流の通り道として国間の距離をジェット機の比でなく縮めたのだ。そして、世の中を動かしているメトロノームのテンポが速くなり始め、その結果、大競争(メガ・コンペティション)時代が到来した。
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いたずら好きの運命の女神は、それだけでは満足しなかったらしく、なんということか、その大きな潮目に日本の電機業界のピークを持ってきていた。
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人間、成功しているときは世間の変化や批判に対して疎くなるものである。実際、筆者もそのころからこの「メガ・コンペティション」なる警鐘を様々なところで聞いた。「これから大変な世の中になるよ」、と。しかしながら、成功している現業を実感をもって変えようとした人は筆者のまわりにはあまりいなかったと思う。なんといっても歴史の浅い電機メーカーは、基本的に右肩上がりの時代しか経験が無いのだから。
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