2013年1月30日水曜日

第15回 父性原理が推進したモジュラー設計


l         話をここで製造業へ戻してみたい。第6回でデジタル化がモジュール化の起爆剤になった話をしたのだが、製造するアーキテクチャを『すり合わせ(インテグラル)型』と、『組み合わせ(モジュラー)型』に分類する議論が昨今にぎわっている。

l         デカルトの二元論から始まり、『システムの科学』(ハーバート・サイモン)を経て、『モジュール化―新しい産業アーキテクチャの本質』(青木 昌彦)や『日本のもの造り哲学』(藤本 隆宏)で語られているように、組合せ型は複雑なシステムを単純化し、手におえる形にして料理する手法だと言える。一方のすり合わせ型は作り込みといった最高の性能を追求するのに適していて、その追求が日本の製造業の競争力の源泉であるという論調があった。

l         すでに気が付いている方も多いと思うが、欧米で進化してきた組合せ型に見られるモジュール化というものは、まさにデカルトの二元論から始まる「切る」「分ける」父性原理から生まれていると思われる。一方のすり合わせ型はまさに母性原理の「包む」「取り込む」機能そのものだ。自我構造の違いに立脚しているくらいなので根が深いのである。

l         『木を見る西洋人 森を見る東洋人』(リチャード・E.ニスベット)という本がある。西洋人(父性原理)では森は木の集合体なので、木は森の本質を持っているという見方をする。これに対して、東洋人(母性原理)は木に分けてしまうと森の本質が失われるという見方をするらしい。「自分の人生を自分で選択したまま生きる」と、「世の中から切り離された私は存在しない」という自我構造の違いが、事物を分析的に見るか、包括的に見るかの相違を作り出すらしい。そして、東洋人(母性原理)は論理よりも結論の典型性や望ましさを優先する傾向があるとしている。

l         西洋(父性原理)では対象を切断して小さな要素に素因数分解し、個々の本質を見極めるのに対して、東洋(母性原理)では個々に本質など無く、すべては要素間の“関係性”によって本質が浮かび上がるのだ、と考えるようである。たとえば西洋医学では病気というものは身体のどこかの部品の故障であり、それを直せばよいと考える(対症療法)のに対して、東洋医学では病気は体全体のバランスが崩れた状態であり、どこか一か所の問題ではないと捉えるのに似ている。

l         すり合わせ型アーキテクチャの特長は、まさにその“関係性”の作りこみだ。特にメカ(機械)の入るシステムは“関係性”の宝庫であった。テープレコーダーなどは最もたるもので、テープのヤング率、張力、モーターのトルク、テープガイドの配置、ドラムが巻き込む空気、磁気ヘッドの突き出し、すべての要素が「あちらを立てればこちらが立たず」の“関係性”のメッシュの中にあった。そしてそれは門外不出の企業内ノウハウになりえたのだ。

l         『対話する家族』(河合隼雄)にこんな記述がある。「欧米は近代になって、心と物を区別する思考法を確立し、それによってまず「物」の研究を発展させたが、続いて『心』の研究もするようになった。これに対して日本では心身一如などというように心と物の境界を明瞭にせずにきたが、欧米に自然科学に魅せられ、それに続けと努力して『物』の研究に成果をあげてきた。しかし『心』だけを取り出して考えるのに、まだ抵抗を感じているのだ」。現状は米国型市場原理主義の押し出す組合せ型が優勢な状況であることは確かであり、競争戦略的には無視できないわけだが、西洋においても東洋医学が見直されているように、お互いに良いところと悪い所があることは認識しておく必要があるだろう。日本人には「物」と「心」が思いのほか近い。時に憑依という一体化を遂げる。人形文楽などはその典型だろう。これは実は日本の最後の強みになりえるはずだ。ここは後ほどもう一度触れたいと思う。

第14回 母性原理が支配する日本


l         前回で書いたように侵略もなく、人間として住みやすい“母なる自然” に抱かれている日本人はそうした環境になじむエートスを獲得していく。ユング心理学者で晩年は文化庁長官に任ぜられた河合隼雄は以前から日本の文化を母性原理に基づくもの、欧米の文化を父性原理に基づくものとして対比させ、そうした日本人のエートスを説明しているのだが、これが実に絶妙であるので紹介したい。念のために言っておくと、心理学でいう母性原理/父性原理は女性らしい/男っぽい、といった性差には全く関係がなく、母性原理は平等、情緒的、父性原理は競争、統制などを象徴的に意味している用語なのでご注意を。

l         下図は河合隼雄『子どもと学校』(岩波新書1992)のある表を元に作成したものである。一つ一つ見ていくと母性原理のほうに日本人らしさが垣間見られると思う。場への所属とは「場の空気による支配」のことだし、人間を絶対的平等で観ることも腑に落ちる。コミュニケーションが暗黙知というのも会社の仕事の進め方を見ていて実感する。能力が平等であるという前提が、「一所懸命」「がんばって」「努力」すれば同じ成果が得られるのだ、という世界観の元になっているのである。また、一方の父性原理を見ていくと、90年台を潮目に世界を席巻している米国型市場原理主義はまさにこちらのルールでドライブされていることがよくわかると思う。


l         父性原理の基本は「切る」機能だそうである。「切る」とは何か?対象を機能分割可能だとみて分けてしまう。神(聖)と人(俗)を分ける、善と悪を分けるといった具合。デカルトはガリレオ・ガリレイの宗教裁判を見てこれはたまらん、と精神と物体を分ける「二元論」を展開し、これによって西洋は自然科学を前進させたと言われる。出来の悪い子は勘当、ノルマを達成しない社員はリストラ。こうした環境では規律と契約によって物事が進む。その結果きっちりと「個」が確立するわけだ。弊害としては白と黒に分けないと気が済まないがゆえに、いわゆる正義と正義の衝突=宗教戦争を起こしやすい。

l         それに対して東洋に多いと言われる母性原理は「包む」。母なる大地に包まれて、PLAN AでもPLAN Bでも「どっちでもいいじゃん」といっしょくたにする。出来の良いのも悪いのもみな同じ腹を痛めた子どもである、社員は家族だから助け合おう。そんなことで、責任は個人ではなく集団責任になり、あいまいに。最大の問題はその同質性、平等性を重んじるがためにその「場」の持つモメンタムを壊せない、つまり「空気」に「水を差せない」ということが頻繁に起こることである。道教のシンボルに太局図というものがあるが、善と悪などはお互いを取り込んでいて不可分であるということをひとつの円環として表現している。禅の究極は二項対立的な見方の排除であり、例えば主体と客体の一体化であると言われるようだが、まさにこの太局図はそんな東洋的なものの見方をよく表していると思う。


l         この違いは河合隼雄によれば、自我構造の違いということになる。自我は自と他を区別するものであり、日本人(母性原理の民)は「無心」「無我」といった価値観にあるように自我が希薄であるという。日本語においてよく主語が省略される事に関連付ける研究もあるようだ。これは、自我を滅することが結果的に自己を守る結果につながる(ゲーム理論的に言えば利得の高い行為だった)ということなのだそうである。

l         例えば、議論して多数決をとるという民主主義の考え方も、父性原理的な思考は「おれはこう思う、でもみんながそう思うなら意見は違うけど従おう」なのに対して、母性原理では「おれはこう思っていたが、みんながそう思うなら、おれの意見をそれに変えよう」になる。母性原理社会に民主主義は本当の意味で根付かないのかもしれない。

l         河合隼雄の本に、西洋と日本でフェアネスの考え方がまるで違うことに驚いた話を紹介されていた。氏はスイスに留学してスイスの小学校に落第があるのを知ってびっくりするわけだが、スイス人は「それぞれの学童の学力に応じたコースが用意されている。とても“フェア”だ」と感じていると知ってもっと驚いていた。日本人は「それぞれの学童の学力が違っていても、同じように進級できるのがフェアでしょ。だって、かわいそうじゃない」と多くの人は思うだろう。そう、フェアネスの意味に「公平」と「平等」の差があるのだ。「機会平等」と「結果平等」の違いと言ってもいいだろう。

l         このように、父性原理はとてもドライで論理的なのに対して、母性原理はウエットで情緒的なのである。そして、お互いに心や体の深いところ(もしかしたら遺伝子のレベル)で相手の価値観を許容できないように思える。

l         日本の組織では重大な決断に情緒が入り、それが大きな蹉跌となることが多いと言われる。野中郁次郎の『失敗の本質』にも、有名なインパール攻略作戦の「失敗」が記述されている。指揮した牟田口陸軍中将は、作戦が失敗することを諫言した参謀の意見を聞かず、「男子の本懐このうえない」というなんとも情緒的な理由で決行。その結果失敗し、投入した兵の9割、7万人の死者(しかも病死、餓死が大半)を出した。おそらく欧米ならロジックの通らない主張は却下されるであろうが、母性原理の世界では情緒はロジックを超える説得力を持つものらしいのである。

l         「日本倫理に義理ありて、西洋倫理に義務あり、義理は情的倫理にして私的なり、是に反して義務は理的倫理にして公的なり。義理は情愛に富むも不公平なり、義務は不人情の如くに見えて公平なり。義理は家族的道徳にして義務は国家的道徳なり。義務の観念に薄くして国政は永久に持続し得べきものにあらず。」これは明治に日本人もグローバル人たれ、と主張した内村鑑三の言葉であるが、情緒とロジック、フェアネスの理解の相違をよく表した文章だと思って感心する。そして、その内村の懸念は100年以上たった現代の日本に、まったく変わらず存在している。

2013年1月28日月曜日

第13回 「日本の風土」とは?


  • 古今の「日本人論」を集めて論じたその名も『日本人論』(南博 著)を読むと以前から日本人が好んで自らを語っているのだということを実感する。日本人優秀説と日本人劣等説はまず半々であるが、こうした自意識過剰な論評と一線を画した和辻哲郎の『風土』という本がある。世界の民族を「モンスーン」「砂漠」「放牧」の3つに類型化し、それぞれの特徴を論じているのだが、「直感的」「科学的検証の欠如」と批判も少なくない。しかし、その鋭敏なセンスによる先駆的な試みは畏敬すべきだと思っている。日本の気候や地形など地理的な条件が日本人のエートスを形成しているという点で共感するところが多い
  • さて、日本の風土はどんなものか?また、大陸との地政学的な関係はどうなのか?整理してみたい。 
  1)湿潤な四季のある温帯である
  2)温帯の中でも列島の南北東西で気温・気候の差がある
  3)四方を海で囲まれている
  4)日本列島の周りの海流が速い
  5)大陸からの距離は、侵略されるには遠く、影響を受けるほどには近い
  6)海洋プレートの沈み込む地震地帯である。火山もある。
  7)台風の通過点である
  • まず、重要のは日本という風土はおしなべて人間が生存する環境としてとても快適である、という点である。E.L. ジョーンズの『ヨーロッパの奇跡』にもあるように、酷寒であると動植物が育たず、暑すぎると寄生虫などの悪影響で、人が住むには適さない環境となってしまうのだが、1)の日本の位置する温帯というのは人間が住むにはちょうどいい。しかも、雨量が多く、人間に必要な水の補給には事欠かず、川や森林には食物が豊富にあり、かつ、海浜には魚介類も豊富なのである。
  • こうした心地よい気候に住む民族は、多分に「受容的」である。民族がなにか重大な決断の時にさしかかったとして、PLAN Aを選ぼうが、PLAN Bを選ぼうが、民族は死に絶えることが無いからである。なのでリーダーが育たない、あいまいに決断しなくていい、選ばなくていい、責任をとらなくていい。神様だって様々あってかまわないので多神教になる。もちろん、日本においても飢饉などの危機はあったろうが、砂漠地帯の日常的過酷さに比較することはできない。
  • また、3)4)5)のおかげで外からの侵略を受けることなく、外の文化のいいところだけを取り入れることができたようだ。日本人は漢字を輸入し、長い時間を掛けてひらがな、カタカナ文化を育んだ。このように、日本独特の「換骨奪胎」文化は、天下泰平、平安な中で時間を掛けて咀嚼する時間を必要とするようなのである。
  • そんな、外からの侵略の無い日本人が体験してきた最大級の危機は「地震」「台風」「洪水」「火事」といった天災である。この種の危機は不可避であること、比較的短期間で危機が去ることという特徴を持っている。特に稲作をベースとする土地に根を生やした生活の中では、土地を離れることは困難だ。危機は受動的に「あきらめて」「じっと身を縮めてやり過ごす」ことが最善である。このことも、だめなら能動的に土地を移ればよいという狩猟・放牧の発想とは大きく異なるだろう。
  • 「島国根性」はまさに3)の条件で閉鎖的で他の文化圏の人間を排除し同質性を維持したがる気質で、明治期に国際人たるべきと主張した内村鑑三あたりが批判したのがこの言葉の始まりのようだ。日本人が集団行動や同質性を好むのはこうした風土のもとで長い時間を暮らしてきて、ゲーム理論的に言うなら最も利得(ゲイン)の高い条件だったということだろう。

2013年1月22日火曜日

第12回 日本人を知る必要性


l         しかし、こうした傾向はグローバルに同条件のはずだ。なぜ複数の日本の電機メーカーは対応できなかったのだろう?日本人のもつエートス(習慣とか特性を意味するギリシャ語)がこの環境への適応を妨げたのか?明治維新や太平洋戦争後に日本人が見せた新しいものへの目覚ましい適応力もまた日本人のもつエートスだったはずだ。わからない。知りたい。筆者はもっと、日本人を知る必要があると思った。

l         ところで、ここまで書いたものを読んだ人から「どうしてそんな日本の製造業ダメダメという悲観的なトーンで書くのだ」「日本の明るい未来をどうして語らないのだ」というコメントをいただいた。筆者はそれを聞いて「これはあの本に書いてあったことなのじゃないのか」と思ってしまった。

l         『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』野中 郁次郎先生の名著で、太平洋戦争で日本軍が負けた際の「戦略的・組織的にだめだったところ」を論じているが、結構普遍性があって身近な会社の中でも思い当たる節もあるので、きっと日本人特有の弱みなのだと思われる。この本が経営書として読まれるゆえんだ。どんなところが駄目だったかというと、こんな具合だ。
  1. あいまいな戦略目的 戦略目的が二重化されたりあいまいだったりしたことで、各部隊の思い込みによる勝手な解釈を生んだ。
  2. 戦略の短期的性格  長期的展望に基づいた戦略立案ができなかった。そのため兵站などが軽視された。
  3. 主観的な戦略策定  ムード、空気で議論が決定される(反対しても無駄だ。。)
  4. 狭くて進化のない戦略オプション  西南戦争・日露戦争での勝ちパターンの聖典視、コンティンジェンシープランの欠如。
  5. アンバランスな技術体系「戦艦大和」「零戦」など技術は優秀だが一品生産。

l         「目の前の現実をロジカルに把握しようとせず、無かったことにしてしまう」「論理性のない情緒的な楽観論が横行する(気合でやればうまくいく)」どうも、目の前の現実を情緒を排してありのままロジカルに理解するという行為がどうも日本人はうまくできないように思える。

l         ちなみに筆者は幼少のころから機械いじりが三度の飯より好きで、そのまま大人になってエンジニアを職業にしてしまったくちだが、「モノづくり」という言葉はあまり好きではない。人が「製造業」と言う代わりに「モノづくり」という言葉を使うとき、次のいずれかを言外に匂わせていることが多いからだ。

1)過去の日本の経済成長を支えた成功体験への誇り
2)日本伝統の美意識をモノに込めるという精神論・情緒的感情

l         目の前が危機的状況なのに、現実を把握しようとせず、このような次元で甘えているうちに勝負に敗れるのが、「失敗の本質」に描かれている日本の典型的負けパターンなのである。

l        「モノづくり」って何時ごろから出てきた言葉なのだろう?と思って調べると1990年代後半から流行り出したようである。意識していないと思うが、日本の製造業に陰りが見えてきたとき、歴史の潮目とまさに時期を同じくしているのが、ある意味象徴的だ。


第11回 シンプルだった技術の未来予測


l         製品開発に身をおくものとして痛切に感じるのが、未来技術の予測とそれに絡んだ製品プロットの難易度が高まっていることである。

l         磁気記録の例で見てみたい。2000年頃までは、図のように、「将来、磁気記録の密度をどこまで向上させると何ができるのか?」という「未来商品のプロット」というべき行為が比較的容易であったということが言える。音声の記録で始まった磁気記録は記録密度の向上にともない、「磁気テープにビデオが記録できるな」、とか、「デジタルでビデオが記録できるぞ」、というように、かなり先まで磁気記録密度という単純な性能指標だけで未来の商材が予測可能だったのだ。筆者はこれを「一次元の善の方向」と言っているが、磁気記録密度を上げることが商品性の向上にダイレクトに関係する、そして、ひとつの技術指標を信じることができる、そういう時代だった。



l         それが現在はどうかというと、安心して頼れる一次元の善の方向というものが少なくなって来たのではないかと思っている。例えば、記録密度を上げずに、データ圧縮技術で機器の小型化を実現などという全く異なる技術がトレード可能になるように、様々な代替技術が複雑に絡み合う時代なのである。

l         以前は、技術予測がシンプルであったから、経営者も安心して(おそらくちょっとはもったいぶって)将来への投資案件に判子を押していたと思うのだ。ところが、現代は、めまぐるしく変化する技術を多面的に判断して、しかもスピーディーに決断しなければならない、経営者にとっては大変な時代になってきたものだと思う。


第10回 「ものが売れない」への悪循環


l         最近、日本の中で「若者の○○離れ」「ものが売れない」という話をよく聞く。もちろん経済的成長の鈍化を背景にした心理的変化もあるだろうが、製造業における技術開発の変化も物が売れなくなった一因になっているのかもしれない、という仮説を立ててみたい。

l       『イノベーションのジレンマ』はクレイトン・クリステンセンが著した説明の必要のないほど有名な本である。技術開発のスピードが高まる一方、人間の能力は大して変わらないので、性能向上が顧客の要求を容易に上回ってしまう、この領域の性能向上は製品の競争力に貢献していない、そこで性能を落として低価格にした製品をコンペチタ―が投入、市場を奪うといったことが起きている。良企業は持続的イノベーションに目を奪われがちで、こうした新興勢力に無関心であるといった内容だ。

l         前回まで説明をしてきた急進する技術改革は、商品のライフサイクルを短くし、デジタル化はモジュール化による技術拡散を容易にした。コストダウンが求められ、開発期間は短くされ、製造業はいやおうなくOEM/ODMなどの水平分業モデルへ移行してきた。水平分業の目指すところは「同じもの(規格品)の大量生産」である。

l         このサイクルは「モノの個性をなくす」ことに大きく貢献する。なんといっても規格品だ。みんな同じなのだ。この画一化傾向が顧客の購買意欲をそぎ、その結果ますます開発費をかけられなくなり、画一化の度合いを増すといった、物が売れないネガティブ・スパイラルが進行しているように思われて仕方ない。


第9回 製造業のサービス業化


l         そんな大きなうねりが製造業界を席巻しつつあり、現在のApple社などに代表されるように、製造業であってもファブレスfabrication facility -less)、つまり工場を持たない企業も少なくない時代になってきた。

l         この傾向をさらに推し進めた例もある。2008年にフィリップスは北米テレビ事業を船井電機にブランドライセンスをし、設計から流通、アフターサービスまでをすべて委託していた。ここでフィリップス社がやっていることは”Philips”ブランドのライセンスをするだけ。これは製造業、ひいては第二次産業と言えるだろうか?



l         このように、従来の定義による製造業とは中身が変わってきており、急速にサービス業化しているのが現状だと思う。「日本はコモディティ化する製造業を捨て、サービス業へ転換することが望ましい」といった著名な経済学者のコメントを聞いたことがあるが、内実はこのように単純なものではない。

2013年1月20日日曜日

第8回 OEM/ODMの流れ


l         第7回に書いたように開発費の比重が大きくなって来る時代、利益確保をどうするか?は企業がもっとも頭を痛める点である。巨額の資本が必要なもの、例えば大型テレビの液晶など数千億円の投資が必要なプロジェクトは、複数の会社で共同リスクにする、あるいは作ったものを自社でのみ消費するのではなく、他社に売るということをしている。株式会社という仕組みはそもそもリスクを分散させる仕組みであるが、皮肉なことに現代の大量生産というものは、株式会社のしくみだけではその巨大なリスクを吸収できないものであるらしい。敵に塩を贈るようなことまでしないと開発費を回収できない時代になってきたのである。

l         もう一つのアプローチは労働集約部分のアウトソーシングである。製造工程の上流下流、それそれにおける利益をカーブにすると「スマイルカーブ」と言われる形になることが知られている(下記図参照)。この利益の薄い部分をなんとかしたいという解決の形がOEM/ODMなのだ。皆さんご存知だと思うが、製造を他社に委託するのがOEMOriginal Equipment Manufacturer、設計から製造までを委託するのがODMOriginal Design Manufacturerということになる。


          
l         OEM/ODMを請け負う企業をEMSElectronics Manufacturing Serviceといい、昨今存在感を高めている。例えば先日シャープに出資することで話題になったFoxconn Technology Group鴻海精密工業という企業はApple社のiPhoneからソニーのPlayStationなど著名な製品を作っている。

l         驚くのはその規模。10兆円と言う連結売り上げは、日本の電機メーカートップの日立グループのそれと並ぶほどだ。フォックスコンのある一つの工場は100万平米10万人が暮らす街だという。例を出しておくと、面積は大体皇居と同じ。人口は高島平が5万人、光が丘が3万人の人口である。どんなすごい「街」か想像してほしい。そしてこれが一工場に過ぎないという事実を認識してほしい。こんなふうに労働集約型部分が賃金の低い海外のEMSへ水が低きへ流れるようにシフトしている。

2013年1月16日水曜日

第7回 ライフサイクル短命化と比重の高まる研究開発コスト


l         さて、そんな中、商品開発の生命線、技術開発はどのような立ち位置になってきたのか?を見てみたい。ご想像の通り、あまり楽観的な要素はない。

l         まず、消費構造の変化や技術革新により、商品のライフサイクルが年々短くなってきている。新製品の賞味期限が短くなってきているのである。スマートフォンやPCのように年2-3回のモデルチェンジのような商品カテゴリーもある。これは20年前はありえなかった。

出展:中小企業白書(2005年)
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h17/hakusho/html/17211230.html



l         その結果、研究開発の成果によって利益が得られた時間がどんどん短くなってきているので、研究開発コストが相対的に顕在化する現象が出てくる。1960年までは研究開発期間4年に対して、利益が得られた期間は20年あったが、1990年には2.6年に対して3.2年と一桁変わってしまったのだ。当然だが研究開発コストを削減せざるを得ないという力が働いてくる。

研究開始年別 利益が得られた期間


引用:科学技術政策研究所「研究開発関連政策が及ぼす経済効果の定量的手法に関する調査」(中間報告)1999年6月
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/rep064j/rep064fj.pdf


2013年1月14日月曜日

第6回 デジタル化がもたらしたもの


l         このパラダイムの変化は、ちょうど家電のデジタル化という技術領域の変化の時期にも符合していた。

l           デジタル化が製造業にもたらした大きな変化は3点あるように思う。第一に構造がシンプルになったこと、第二に実現手段の代替が簡単にできるようになったこと、第三に機器の性能差が圧縮したこと、だと思う。

l         また、デジタル化によって機能実現手段のほとんどが半導体集積回路に集約できるようになった。半導体はムーアの法則により、集積回路の規模が”18か月ごとに倍になる。デジタルになった半導体というものは面白いもので、ムーアの法則に従って微細化することは、基本的にいいことばかりなのである(最近はさすがにそれほど単純ではないが)。処理は高速になる、消費電力は下がる、おまけにコストも下がる。これはエンジニアリングの世界では稀なことで、大抵の場合はこちらを立てるとこちらが立たないという二律背反なことが多いのある。そんなわけで半導体は加速度的に高性能になり、デジタル化された機能のほとんどがシリコンの上で実現されてしまうようになった。これによって、複雑な機能を持つデジタル家電製品はどんどん構造がシンプルになっていき、チップをポンと乗せれば高性能な商品ができてしまう時代が来た。

l         もう一つの変化はデジタル化がモジュール化を容易にしたということがある。ひとつひとつのサブ機能は単純化され、インターフェイスはオープンなプロトコルにする。これを多くの企業に競わせて価格を下げ、普及させ、次のより高度な技術へとつなげていくループは非常によく働き、システムの低価格化と高機能化を同時に成し遂げた。パーソナルコンピューターの世界は、OSCPUDRAM、ストレージとモジュール化され、得意なベンダーによって進化していったが、成功例だといえよう。


l         さて、モジュール化のすごいところは、インターフェイスの先の機能の実現方法がどう変わっても無関係なことだ。例えばストレージ機能の場合、実現方法が、テープだろうが、ディスクだろうが、半導体だろうが、かまわないのだ。PCの世界では磁気記録によるハードディスクからSSDと呼ぶ半導体ストレージに移行が進んでいる。ハードディスクベンダーは同業者だけがコンペチターだったのが、これからは半導体ベンダーも含まれる、といったように、モジュールの世界では、異業種が横から殴りこんでくるのだ。

l         ご存知のようにデジタルとは0か1であり、中間がない。性能の高低はフォーマット(規格)で多くが決まるようになったため、価格やメーカーによる差が少なくなってしまった。もう少し言えば、低価格な商品の性能が著しく向上した。それまでのアナログ技術では各社各様のポリシーの元、異なるアプローチでの創意工夫によって「多面的な性能の差異化」を披露していた時代だったのだが、デジタル化によってほとんど消滅してしまったのである。この事実は性能という目標達成を生業にしてきた多くのエンジニアのメンタリティに様々な影響を与えていると思われる。このあたりはまた後で触れたいと思う。

2013年1月11日金曜日

第5回 製造業をめぐるパラダイム変化



l         何がいつ変わったのか?そのトリガーになったのは、衆目の一致するように、19891110日のベルリンの壁崩壊に象徴される「冷戦の終結」なのだと思う。東西緊張のエネルギーが“市場原理主義”という世界共通ルールの中で解き放たれたのだからたまらない。

l         運命の女神はいたずら好きである。時を同じくしてWindows95のリリースで勢いのついたインターネットが世界の津々浦々をつないでいた。アメリカから発注された仕様書はインターネットを通じてインドでソフトウエアがコーディングされ、中国で大量生産されるハードウエアに搭載されるようなことが、不思議でも何でもなくなったわけである。

l         この二つの大きなパラダイム・シフト、潮目は1990だったと言える。

l         ここで起きたことはトーマス・フリードマンの著書にもあるが、「フラット化」がぴったりくる。まさに水が低きに流れるごとく、世界の資本や知識が液体のように動き出したのである。イデオロギー対立の消滅は、水塊をせき止めていた堰を切ることであり、インターネットはその水流の通り道として国間の距離をジェット機の比でなく縮めたのだ。そして、世の中を動かしているメトロノームのテンポが速くなり始め、その結果、大競争(メガ・コンペティション)時代が到来した。

l         いたずら好きの運命の女神は、それだけでは満足しなかったらしく、なんということか、その大きな潮目に日本の電機業界のピークを持ってきていた。

l         人間、成功しているときは世間の変化や批判に対して疎くなるものである。実際、筆者もそのころからこの「メガ・コンペティション」なる警鐘を様々なところで聞いた。「これから大変な世の中になるよ」、と。しかしながら、成功している現業を実感をもって変えようとした人は筆者のまわりにはあまりいなかったと思う。なんといっても歴史の浅い電機メーカーは、基本的に右肩上がりの時代しか経験が無いのだから。