2013年4月3日水曜日

第37回 コンセプターの資質


l             コンセプターにはどのような資質が求められるのだろう?あるいはどんなタイプの人がコンセプターに向いているのだろう?よく言われるのは“創造力”“好奇心”が旺盛なことなのだが、それだけだと説明が不足していると思われるので、補足する意味で書き出してみたい。

深いこだわりをもてる
コンセプターは強いこだわりを持った人が多い。しかも、一人で深いところまで追求していける指向を持っている。趣味の領域であっても、こうした人は素人の領域を超えたものを持っている(いわゆる“マニア”)ことも多い。 

我が強い
協調性の優れたタイプは掃いて捨てるほど日本にはいるが、コンセプターは自分の考えを頑固に貫くことが求められる。自我の強さが必要なのだ。よくある言葉巧みな、弁舌の鋭さではなく、思考の強さ、鋭さで評価しなければならない。

現状否定できる
波風を立てるのを避け、大きな流れに乗ってしまうタイプはコンセプターには向かない。あえて、多くの人がYesという中で、自分の意思を貫き、Noと言い、対案を提案できることが求められる。

気付ける
「これはどうしてなのだろう?」「本当にそうなのか?」と常に疑問を持ち、その問いに対する答えを模索するタイプである。なにも疑問の無いような現実の中にある、小さく大事なポイントに気付けること、本当の知識・知恵はこのような姿勢から生まれてくるため、コンセプターは自然に知識が豊かになる。

l             こうした資質は後天的に訓練して獲得できるというよりは、先天的な要素が大きいように思われる。「みんなで」「一所懸命」「頑張る」ことでは得にくい能力なのだ。右脳、左脳のバランスなのかどうかわからないが、多くのエンジニアを見てきての実感である。先天的であるということは、年少の頃から選別可能で能力を伸ばすことができるかもしれない。また、企業はそうした資質を見分けることができればコンセプターを多く採用できる可能性もあるだろう。

2013年3月31日日曜日

第36回 コンセプターを育てる



  • これまで述べてきたように、日本の製造業には高度成長期まではコンセプターよりもリーダーが必要とされた。しかし、いま、時代の潮目が変わり、リーダーよりも「枠」の設計者たるコンセプターが必要になってきている。しかし、人と違っていること、多様性を是とする欧米、特に米国人と異なり、日本人のエートスは人と違った行動をとる異能のコンセプターを排除しようとする。この逆境を生き抜いたコンセプターは日本を何度か変えてきたのも事実であるが、そのような稀な事象に頼ることはもはや時代が待ってくれない。リーダーとともにコンセプターを育てる仕組みが必要だ。
  • 現状の日本の企業には数多くの従業員から未来のリーダーを選別するプロセスをもっており、従業員もリーダーとしてのキャリアパスは認識している。しかし、未来のコンセプターを見出し、育むプロセスは一般的には存在しないし、従業員もまたそれを自覚していない。構造としてコンセプターのキャリアパスを明示的に作ることが喫緊の課題である。
  • まず、第一に必要なのは、経営者が労働集約的な価値観から脱却することが重要である。そして、劉備が諸葛亮を請うたように、コンセプターを重用する姿勢が大事である。また、それが従業員全員から明確にわかることも重要だ。サン・マイクロシステムズのスコット・マクネリーは天才的コンセプターであるビル・ジョイを公式の会社の組織図でだれよりも上に位置づけた。その結果、JAVAなどの新技術が生まれたのだ。
  • その次に大事なのは、軍組織が目的実行する司令官と目的を計画する参謀を分けたように、リーダーとコンセプターの役割をキャリアから分ける必要がある。このふたつの役割は創造力に関係する価値観が正反対であるため、異なるキャリアパスが必要なのだ。参謀には参謀本部があるように、コンセプターの組織を明確に分けるべきであろう。
  • コンセプターの育成はどのようにするべきか?もっとも大事な資質は創造力だが、創造力の燃料ともいえるのが知識である。諸葛亮は膨大な知識をベースに創造力を駆使した。しかも現場の知識を誰よりも知っていたのである。コンセプターも現場の知識が必須なので、これを若い時代に習得させるべきだ。ただし、諸葛が関羽に腕では太刀打ちできないのと同様に、現場の実務能力は低いかもしれないことを含み置かなければならないだろう。
  • 日本の成功した会社のいくつかは、経営者(創業者であるケースが多いように思われる)がこのような異能のコンセプターの価値を十分理解していて活用した例が多く見られる。しかし、会社の世代が替わるとうまくその文化が継承されないことも多いのだ。高度成長期が終わり、コンセプターの存在意義が問われる今、企業の中のシステムとして確立する必要があるのではないか?
  • 根本的には、小中学校時代からリーダーだけでなく、コンセプターの育成を含意した教育をするべきである。前提として、幼い子らが人と違う考え方をした際に肯定で応える、というような多様性の容認は最低限、徹底することが必要だろう。そして、もっと明示的に子供たちの創造力の資質を感知し、その資質を育てる仕組みがあるべきだと思う。これは選び抜かれた資質を問う天才教育ではない。もっと一般的な教育であるべきだろう。




第35回 立ちはだかる日本の労働倫理観


l       日本の製造業において、創造力を駆使すべきコンセプターがあまり評価されてこなかったことについて少々詳しく述べてみたいと思う。

l       日本の製造業は日本独特の農耕スタイルに端を発する労働集約的産業で成り立ってきたことは間違いない。300年間安定していた江戸期にそのスタイルを純化させていった。第19回 「日本の『勤勉革命』」で紹介した石門心学はその象徴で、勤勉な労働を宗教的行為まで昇華していった。この高度成長を支えた、石門心学は「考える人より、汗水たらして作る人の方が尊い」という労働倫理観を形成して低成長期になった250年後の現代の産業を歪めているのではないか?

l       どうも、「あれこれ考えてアイデアを出すやつはただの評論家だ。みんなで一つの目標に向かって気合で頑張るモノづくりが偉い」「仕様書を作るより、コーディング自体の方が正しい人間の労働の姿だ」このような“体育会系”の考え方が日本の製造業の現場には多いように思われる。

l       加えて「出る杭は打つ」平等主義が厳然としてある。河合隼雄『母性社会日本の病理』によれば、母性原理はポジティブには、「母が子供を産み、保護し育てるように、全てのものを生み出して包み込み、養い育てる」という形をとり、ネガティブには、「母が我が子の独立を阻むように、対象を掴んで離さず、抱きしめ、呑み込んでしまう」という形となるそうである。母性原理社会は構成員の均質化を強要するのだ。皆が残業しているときに一人だけ早く帰りにくい、といった“空気”の威力は相当なもののようである。

l       このような労働集約スタイルの倫理観と母性原理的均質の“空気”のなかではコンセプターの生まれる余地が少ない。第31回 「「枠」の設計者=“コンセプター”」で述べたように創造力に長けたコンセプターは子供っぽく夢見がちだ。映画『レッドクリフ』で描かれた諸葛亮孔明はじっと雲を眺めているだけだったり、筝曲を演奏しているだけだったりしている。司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公で日露戦争でバルチック艦隊を破った海軍参謀、秋山真之もまた、ポケットに入れた豆を始終ぼりぼりと食べていたり、ベッドに一日中寝転んでいたりという一風変わった人として描かれている。もちろん彼らの頭脳はフル回転しているのだが、日本の労働倫理観からすると仕事を怠けているように見えないこともないだろう。雲を眺める諸葛より、タフな軍事訓練に汗を流す関羽のほうが、正しい労働のように見えてしまうのだ。ちなみに日本での労働評価はずっと時間/努力/年功による報酬がされてきた。欧米の個人の能力/成果による報酬はしっくりこなかったからである。

l       「0を1にするまでの過程にこそ、付加価値があって、それができる人に栄誉とサラリーが与えられる」、「1を100にするのはアウトソーシングでかまわない」、こういう価値観、倫理観に日本人は変われるだろうか?

第34回 “How”から“What”へ リーダーからコンセプターへ


l         20回 「労働集約型産業の歴史」で述べたように、明治以来の高度成長期、日本の産業は “タイミングよく”労働集約型の日本のエートスが時代にフィットして経済的成功を遂げた。労働集約型の場ではとにかく均質で勤勉で低賃金な労働の存在こそが価値があった。日本は「0から1」“What”は欧米からちゃっかりと拝借し、トヨタのカンバン方式(just-in-time生産)などを見てもわかるように、「いかによい品質のものを安価に効率よく作るか?」「1から100へ」How”の部分を先鋭化・お家芸化し、それが高度成長期の成長エンジンのコアになった。

l         ところが、この時代、第8回「OEM/ODMの流れ」で述べたように、製造プロセスの多くが中国など海外へ流出している。製造業はスマイルカーブの前後、特に「何を作るか?」“What”の前部分が重きを増してきているのが現実である。今の製造業はHowからWhatへ、モノからコトへと世の中の価値の重心は移動してきているのだ。ちなみにかのドラッカーも「企業の目的が顧客の創造であることから,企業には2つの基本的な機能が存在することになる.すなわち,マーケティングとイノベーションである.」(『現代の経営』)と言っている。企業がコアの機能として持つべき役割に製造業が戻っただけ、ということなのかもしれない。


l         従来の日本の製造業では、「0から1」“What”である基本発明は欧米に依存していたため、創造力を駆使すべきコンセプターはあまり評価されてこなかった。評価されていたのは構成員の均質性を前提とした母性原理に基づく「調整者」としてのリーダーである(あくまで調整者なので指導者タイプよりは、平凡で失敗しないタイプが選ばれる傾向にあった)。

l         しかし、ここへきて、「何を作るか?」「0から1」“What”をマーケティングとイノベーションで考えていくコンセプターが必要とされる時代になってきた。しかし、歴史的に企業中でコンセプターを育んでいく仕組みが無く、供給が足りない状態なのだ。ここは今の日本のもっとも重大な問題点であり、後章で再度ふれたい。

l         ではリーダーはどうなのか?実は製造業における“目的追求行為”は、より良品質で、より低コストで、という“How”の部分に多く関係していたため、かなりの割合で製造現場の流出とともに中国やインドへ行ってしまったのだ。日本人のリーダーは需要が減り、配給過剰の傾向にあるのである。

l         リーダーよりもコンセプターのほうの需要が多く、供給が少ない。今やそんな時代になってきているのだ。しかし、どうも実態はそれに応じたフォーメーションになっていない。この流れを阻害している要因があるようだ。


2013年3月29日金曜日

第33回 三国志に見る司令官(リーダー)と参謀(コンセプター)の分業体制


  • 魏・呉・蜀の三国が三つ巴になって覇権をめぐる熾烈な争いを描いた歴史とその伝承でつとに有名なのが『三国志』だ。特にノベライズされた『三国志演義』の方は登場人物がコントラスト豊かに描かれており、実に魅力的である。その高潔な人柄で心身掌握にすぐれた劉備玄徳、劉備が三顧の礼で迎えた超人的知謀を駆使する諸葛亮孔明、無敵の武術で秀でた関羽・張飛といった具合である。
  • ここで描かれる役割分担は実に鮮明である。劉備は司令官、組織の長(リーダー)として人心を束ねることと最終判断に集中している。戦略に関しては参謀(コンセプター)のプロ諸葛亮に全幅の信頼をおいており、理想的な分業体制と言える。プロイセンで発案された近代軍隊組織どころか、2-3世紀の昔よりこの分業は成立していたのである。おそらく、戦争というミッションクリティカルな行為の最前線にあっては、このような分業こそ最強のチームビルドの条件であり、戦国時代を勝ち残る条件であるという経験則がすでに成立していたのだと思う。
  • これまでの日本の製造業界を見る限りにおいて、司令官(リーダー)とは「目的追求行為のプロ」であるべきだという認識はほとんどないように思われる。そして、それを補完するべき参謀(コンセプター)という職種は無きに等しいものであるように思われる。どうしてこのような現状になってしまったか?
  • 11回 「シンプルだった技術の未来予測」で述べたように高度成長期の製造業は技術的観点で“安心して頼れる一次元の善の方向”があったため、羅針盤なし、参謀不在でもなんとか組織の方向性を打ち出せた、と言えるだろう。
  • また、第14回 「母性原理が支配する日本」および、第18回 「タテ組織による序列形成」で述べたように母性原理社会では、指導者としてのリーダーシップが不在でも、うまく社会が機能したということが言えるかもしれない。
  • ようするに、日本の今までの産業は「戦争状態」になったことがないのだ 三国志で例えれば、高度成長期の日本では、劉備はいるかもしれないが、関羽・張飛の調整役としてのリーダーだ。コンセプターの諸葛亮はいない。しかし“安心して頼れる一次元の善の方向”が見えたので問題はなかったのだ。関羽・張飛らはとにかく昼夜を厭わず勤勉に働くので成功を収めることができた。
  • しかし、高度成長期が過ぎ、低成長時代になった日本ではどうか?世界がフラット化し、企業活動が国境を越え、メガ・コンペティション、「戦争状態」になった。いままでの“安心して頼れる一次元の善の方向”がなくなり、どこへ自分たちが向かったらいいのかわからない。そんなときに必要な参謀、コンセプターの諸葛亮がいないのでよい策も出ない。自分には技量があると関羽・張飛らが腕自慢してみても、それは情緒的な自己満足にしか過ぎない(モノづくり神話)。こんな例えは悲観的過ぎるだろうか?

2013年3月27日水曜日

第32回 “コンセプター” ≠ “リーダー”


l         Appleという会社にスティーブ・ジョブスという偉大な経営者がいた。様々な慣例を排除し、コンピューターや音楽試聴環境を再発明してきた。彼もまたすばらしいコンセプターだったと思う。いまの日本の製造業界には「ジョブス待望論」なるものがあるように思われる。彼のように斬新な創造力と、困難を切り開くリーダーシップを併せ持つ人物こそ製造業に必要なのだという論調である。

l         織田信長もまた、創造力とリーダーシップを兼ね備えていたように思われる。しかし、ジョブスにせよ、信長にせよ、こうした百年に一人の逸材を待っていられるのだろうか?答えはNoだ。

l         こんな話をたびたび見かける。創造力豊かなAさん。いままでにない革新的なすばらしいアイデアを思いついた。上司に「こんなアイデアを思いつきました」と提案してみたところ、上司もこれはいいと合点し、「よし、お前が商品にしろ。事業部長にしてやる。部下もたくさんつけてやる。予算もだ」、とAさんをまつりあげる。Aさんはリーダーシップに欠けていて、人心掌握ができず、結果的に商品は生まれることなく失敗に終わった。上司は「なんだ、うまく行かなかったということは、やはりいいアイデアじゃなかったんだな」、と一巻の終わり、というシナリオである。

l         こうした「言いだしっぺが全部やれ!」という乱暴なことをやっている限り、うまく行くわけがない。一次元の価値軸がまだ存在していて「新製品であるという理由だけで売れた」高度成長期の製造業では、大きな波(トレンド)に乗っているためこんなやり方でも結果的にうまく行くこともあったろうが、複雑な外部環境の現代ではまず失敗するだろう。

l         コンセプターは創造力が資本である。前述のように自由で夢見がちで子供っぽかったりする。人を統率できなくてもまったくかまわないのだ。コンセプターはリーダーである必要はないのである。そう、コンセプターとリーダーは分業しなければ絶対にうまく行かない時代なのだ。そして、両者を兼ね備えた人物を百年待たなくて済むのである。

l         コンセプターとリーダーをシステマティックに分業して長い歴史を経た業界がある。軍隊である。近代軍隊は、プロイセン(ドイツ)から始まったといわれるが、司令官(リーダー)と参謀(コンセプター)は分業され、それぞれが専門職として“別のキャリアパス”を持っている。堺屋太一の『組織の盛衰』にこの司令官と参謀の役割の違いが書かれている。

²        司令官
l         目的追求行為を行う
l         軍隊の専門知識が必要
l         その場に応じた適切な判断力を持つ
l         労を厭わない勤勉さが必要
l         人心掌握力がある
l         創造力は不要(現場で創造力を駆使すると失敗することが多い)

²        参謀
l         創造力こそが重要
l         現状把握と将来予測ができる
l         全体を俯瞰する広い視野を持つ
l         企画提言に対する積極性がある(常に事を起こしたがるタイプ)

l         このように司令官(リーダー)と参謀(コンセプター)は必要とされる資質が大きく違う。正反対といってもよいほどで、共通点は知識がともに必要なことくらいである。この分業体制こそ、コンセプターがコンセプターの仕事に専念できるための大きなヒントになると思われる。もう一度言うが、コンセプターはリーダーを兼ねる必要はないのである。

第31回 「枠」の設計者 = “コンセプター”


l         前回に書いた二層構造の上位層である「枠」の設計者は世の中のトレンドがよく見える外向きイノベーション=父性原理の人が適する。これまで述べてきたように日本人は内向きイノベーション=母性原理に根ざす人が多く、父性原理の人は少数派である。

l         しかし、日本の歴史は彗星のように現れた少数派の父性原理の人によって変えられてきたのも事実である。例えば最もわかりやすい人物は織田信長だ。彼は様々な前例を反故にして合理性をもって大胆な変革を行った。鉄砲など合理的戦術の徹底的利用、身分より能力重視の登用、宗教的タブーの棄却、楽市楽座の積極導入といった革新的なことをリーダーシップをもって実行したと言われる。

l         豊かな創造力で夢を見、全体や取り巻く環境を考え、前例に沿ってではなく、自分の知識で合理的に判断し、具体的な実現方法を編み出せる。このように自我の確立した人こそ「枠」の設計者にふさわしい。

l         「枠」の設計者にもっとも必要な資質は創造力である。創造力のある(クリエイティブな)人は周りから見ると、まるで子供のようだとよく言われる。子供は世間体や前例に束縛されていない自由な存在である。だからこそ子供はクリエイティブなのだ。その自由さが持てる暗黙知を現実世界に拾い上げてくるから強いのだ。子供と大きく異なるのは、具体的な実現方法を描けることだ。広く深い「知識」によって方法論はより精緻なものになる。

l         この自由な創造力にあふれ、具体的な実現方法を語れる「枠」の設計者を“コンセプター”とここでは呼んでみたい。類似の言葉に“プロデューサー”や“ビジョナリー”があるが、前者は政治力で実行する方法論だけのイメージが、後者には創造力だけで実現方法を語れないイメージが個人的にあるのでコンセプターという言葉を選んでみた。

l         以前雑誌でスイスの時計産業の記事を読んだ。驚いたことにスイスの時計産業には“ウォッチ・コンセプター”という独立した職種が存在するのだそうだ。ウォッチ・コンセプターは実際に時計を作る時計師ではなく、一般的な意味でのデザイナーでもない。時計師やデザイナーが日常のルーチンワークの中で到底考え付かないような革命的な素材の利用やメカニズムを提案するのだ。しかも、その新しい素材を加工する装置の具体的な提示までやってのけるのだそうである。豊かな創造力と実現のための広く深い知識とを併せ持っているのだ。そしてその革新的な提案を大手メーカーに持っていく。大事なのは、ウォッチ・コンセプターはグランド・デザイン、まさに「枠」の提案だけで最終商品までは作らないのである。コンサルティング業に近いように見えるが、もっと革新的に付加価値のコアそのものをクリエイトする職業だと思われる。このウォッチ・コンセプターのような役割が存在し、スイスの時計産業社会で尊敬を集めている(ちなみに彼は経済的にも成功している)ことが、いまでも魅力的で高付加価値な商品を生み出し続け、世界的なブランド力を維持している根源なのではないだろうか?