第19回 日本の『勤勉革命』
- なぜ、近世までぱっとしなかった日本が、急に欧米のような資本主義、および工業社会へ短期間でスムースに移行し、経済国家としてトップクラスになりえたのか?このミラクルに関しては誰でも不思議に思うところだ。
- 西ヨーロッパでの資本主義の芽吹きはマックス・ヴェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で語られている説が有名である。つまり、プロテスタント、特にカルヴァン主義の中にある、「お金をもうけることは宗教的に間違ったことじゃない」「神からは天職を与えられている。励んでよし」という考え方が資本主義をダイナミックに作り上げたというものだ。
- 日本にそんな宗教は無かったし、そもそも日本人は多宗教では?そんな疑問に「いやいや、日本にも似たような思想があったのだ」と、一つの答えを提出したのがかのイザヤ・ベンダサンこと山本七平である。『勤勉の哲学』で山本は、江戸時代に起こった鈴木正三から石田梅岩へと展開する「心学」が、欧米における資本主義繁栄の重要な起爆剤であったプロテスタンティズムと共通項が多く、そのため、日本がアジアでは珍しく資本主義が芽生えたという説を展開している。
- この「心学」、あらゆる職業は天職、聖職なのだから、それに励むことが仏行(宗教的修行)であるという考え方である。労働は利潤の追求ではなくなり、すべての職業が芸術家のような態度になるという。いわば剣道、書道と同じ「道」になる。まさにこれこそ日本人の勤勉さ、「頑張る」エートスのことではないだろうか?
- そもそも日本人には「水の低きにつくがごとく」「自然(じねん)に」「化為(なる)」ことが最上であるという思想があった。心学者たちもこれを継承しているのだが、彼らの技術観が面白い。
- 心学では「水が低きに流れる」ような自然な状態を「善」とする
- 心学では宇宙の継続的・循環的秩序に人も組み込まれているとする
- 人の自律呼吸などもその宇宙のからくり(自動装置)だと考えた
- 機械を使って人が楽になるのであれば、それは(苦の状態と比べて)自然なことなので「善」であると考えた
- こうした考え方がのちの西洋科学や工業化をスムースに導入できたベースなのだという。ちなみに明治の日本人学生に(西洋では当時破天荒なほど斬新だった)ダーウインの進化論を教えに来た西洋人の先生は「地獄の釜を開けたような騒ぎになる」と恐れていたのだが、明治の世の学生は「自然な考えである」とすんなり理解したそうである。このあたりが日本人の強さだろう。
- しかし、山本の心学説だけでは説明が不十分だと思っていたところ、江戸時代の歴史人口学に詳しい経済学者、速水融の『近世日本の経済社会』という本に出会った。速水によれば、日本のような平地の少ない風土において稲作の生産性を向上させるには、次のようなスタイルになったという。
- 狭い土地の利用度が高くなり、土地の栄養分(地力)が低下
- 堆肥のための下草確保の土地も耕地拡大によって減少
- 結果、干鰯、干鰊、油粕のような商人から買う肥料を導入した
- こうした肥料は雑草の繁茂をもたらし、除草に相当な労働力を強いられた
- また、土地の酸化防止のため、深耕が必要となり、家畜で犂を引くよりも人力で鍬で耕す手法が合っていた
- 欧米では大規模農業と家畜の利用による人力の低減が図られていた(資本集約・労働節約型)が、逆に日本では人力を多量に投入しないと成り立たない農業スタイル(資本節約・労働集約型)になっていったようなのだ。また、商人から肥料を買う/米を商人に販売する、というスタイルも定着したことにより、貨幣経済が下々まで浸透していたとのことだ(江戸期に一般市民の読み書き、簡単な数字計算ができたのはこのおかげだろう)。そして、農家は働けば働くほど収入を得て質の高い生活(江戸時代に平均寿命は10年延びたらしい)が送れるようになるという「経済的インセンティブ」を獲得していった。西欧と異なり、資本集約型ではない労働集約型の起点という違いはあるにせよ、これが明治維新以降の資本主義の導入をスムースにしたのだそうである。「産業革命」ならぬ、速水のいう「勤勉革命」である。
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